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    生と死と魂の浄化




    人間となって、生まれてきてもこの世は苦しみ悲しみの感情渦巻く生きづらい世の中となっています。


    こうした世の中でも今は幸せに暮らしていると思っている人が多いかと思いますが、長い人生には何が起こるかわからない予測不能な世の中です。


    そうした中これから先も人間として人間らしく幸せに生きるためには、人間の本質を知り、そこから生きる意味を見出す努力が必要となってきます。


    そして今私たちはこの世で人間として生きていますが、人間の本質は霊魂であり先祖と称しています。


    そしてこの霊魂のいるところはあの世であり、地球の主、地球台地母神とつながる神の世界です。


    この神の世界には、人間の生命体の本体である氏神先祖代々と、その主神の意思気が活きています。


    このように霊魂である先祖は、氏神と代々と共に三位一体となって神の世界にいます。  そしてあの世の神の世界とこの世の人間の世界は、合わせ鏡の関係を保ち同じ様相を呈しています。


    こうしたあの世とこの世は肉眼で見えるか見えないかの違いだけで全て地上にあります。




    こうして人間の本質である霊魂は、人間になるため分霊し魂となって見えないあの世から見えるこの世に生まれてきます。そしてその為には母親の母体が必要であり、母胎を通り人間となって誕生します。


    この様に魂はこの世に生まれる為、生命体を宿した母親を選びその生命体に入魂します。


    そしてこの生命体はあの世にいる生命体の本体、氏神先祖代々とその主神の意思気と霊線でつながり合わせ鏡の関係となります。


    こうして魂の入魂した生命体から意思気が芽生え人間となります。


    この様にしてこの世に生まれた魂はその家の家族となり人生が始まります。


    こうしてこの魂は意思気ある生命体の中で人間となり「生き」ています。


    そして本体の氏神先祖代々とその主神の意思気は、あの世で神となってはたら気「活き」

    ています。


    この様に今人間としてこの世での「生活」が成り立っているのは、あの世の氏神先祖代々とその意思気のはたら気のお陰です。


    これでわかる通り人間だけで生活できているわけではありません。


    こうして表のこの世の人間世界と裏のあの世の神の世界は表裏一体となって共に生き活きて人間世界が潤っています。




    こうしたあの世の神の世界は今まで正しく解明されてきませんでした。


    そうした事から、人間は見えないあの世の神の世界があることを知らないまま生きています。


    その事により神の世界で活きている氏神先祖代々と、その意思気に対して感謝を示すことが出来ないのが今の世の中です。


    このように生命体を生かしている本体と、その主神に対しての感謝を示す事が出来ないのは、神を信じていない事やあの世を肉眼で見ることができない事が要因となっています。


    こうした事からあの世の神の世界を見えるように表現し、目視出来る様にすることがこの世で生きる人間にとって必要なことであります。


    その為家庭内に神の世界を表現する神棚を設け、氏神を社(やしろ)として表し、先祖を鏡として表し、代々を左右ニ本の榊として表します。


    この様にして神の世界を家庭内の神棚に表現すれば、家族の生命体につながる氏神先祖代々に対して感謝を示す礼拝ができます。


    そこから主神の意思気がはたら気、合わせ鏡となっている家族の生命体の意思気も正常にはたら気、悪い気は無くなり魂が浄化されます。


    この様に人間としてこの世で生きる意味は魂の浄化と幸せになるためです。




    この様に今まで神の世界を表現する神棚がある家庭はほとんどありませんでしたが、多くの家庭には仏の世界を表現する仏壇があります。


    昔日本には大陸から仏教が入り、日本民族はこの仏教を取り入れてきました。


    この仏教によってあの世に筋道の曲がった仏の世界が作られ、仏の教えとして死の領域が、複雑怪奇に説かれてきました。


    こうして仏教によって作られた仏の世界の広がりによって、本来のあの世である神の世界が覆い隠されてきました。


    そのことによって神の世界を表現する神棚で、氏神先祖代々を奉ることができない世の中となり主神である意思気のはたら気が失われてきました。


    こうしたことから死の領域を説いてきた仏教によって、日本民族は仏教的儀式を受け入れ、死者に対してのお墓や仏壇を大切にしてきました。


    そして今この世で人間として生きる上で生と死を正しく知っておく事も大切です。


    その生とは、あの世にいる霊魂から分霊した魂は生命体に入魂し人間となって誕生する過程が生であり、この世で人間として生きることです。


    そしてすべての人間には、本体の氏神先祖代々から授かった寿命があります。この寿命が尽きれば生命体の意思気がなくなり屍となります。そして魂は生命体から抜け出しあの世に帰るのが死の過程です。


    生とは魂がこの世に生まれてくることであり、死とは魂があの世に帰ることです。




    本来魂は生命体の死によつて神の世界の先祖のもとに帰るべきですが、神の世界が閉ざされているため魂の浄化が出来ず、魂は汚れたまま仏の世界に帰ります。


    そして汚れた魂はさまよいながら仏の世界で次の生を待っています。


    今この世で生きている人間の魂は、仏の世界から生まれてきた汚れた魂であり魂浄化が必要です。そうした事から人間は未だ未熟であり人間の意思気は未完成です。


    今まで仏教によって仏の世界に帰った魂をお寺や仏壇で供養していましたが、仏の世界にいる汚れた魂は供養によってきれいに浄化される事はありません。


    そうした事から魂浄化ができるのはこの世に生まれ人間となった魂だけであり、人間となって魂浄化の修行することがこの世で生きる大いなる理由です。


    こうした魂浄化の方法は、家庭内の神棚で氏神先祖代々を奉りすることであり、そうした事によって家族の魂は浄化されていきます。浄化されることによってこの世での幸せな生き方が見えてきます。


    こうして浄化され綺麗になった魂はあの世に帰る時は仏の世界ではなく、神の世界の氏神先祖代々のもとに帰ります。


    そして綺麗になった魂は生まれてくる時はあの世の神の世界から、この世の人間世界に生まれてきます。そうして幸せに生きることができます。


    仏の世界は、死の悲しみの世界であり、汚れた魂のさまよう場所です。


    神の世界は、  生の喜びの世界であり、清き魂の活き場所です。



    次は「日本の立て直し」を送ります。

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