人間の一生はあの世から母胎の神代を通り, この世に生まれ, 喜怒哀楽の人生を送り, 寿命が尽きるとあの世に帰ります。
人間の寿命はあの世で決められて生まれてきますが、この世の行いで変わります。又一生の総決算はあの世に帰る時見えてきます。あの世とこの世は表裏一体霊線でつながっています。
人間は真実を知らず表のこの世しかし見ることが出来ず, 裏の氏神先祖代々のあの世をないがしろにして来ました。その結果氏神先祖代々の意思気はバラバラに壊れ, 暗闇の中で活き場所を失っています。
この世で幸せになり平穏に暮らすためには氏神先祖代々の活き場所を設け, 過去である氏神先祖代々と向き合い、先祖代々の犯した罪を清めることが必要であることを前回迄説いてきました。
この世で無事無難に暮らすためには氏神先祖代々をまつることが必要不可欠です。
現代人の多くは心の問題で悩んでいますが、心はどこにあるのか知っている人は少ないと思います。ある月刊誌で権威ある脳外科の医師が心がどこにあるのか知りたくて体の中を隅々まで捜しましたが心を見つけることが出来ず、心はいったいどこにあるのか?と本に書いてありました。心は肉眼では見えませんが人間が幸せになるためには重要な役割を担っています。その為には心がどこにあるのか見つける必要があります。
心とは「光光路」と書けばわかると思います。心は光の通る回路です。光とは神から流れてくる幸せになるエネルギーです。気は心と申します。先祖代々の意思気の気そのものが心です。
気が壊れていることは気心である光の通る回路も壊れていることであり, 気心は光なき暗闇状態となっています。この様に心は体の中にはありませんが、心が痛む、心が苦しい、心が傷ついた、心が壊れた等, 心についていろいろ言われていますが、光の通る回路である気心が壊れた状態であるため心は悪い言い方で言われています。
先祖代々の意思気と自分自身の考え方は霊線でつながり合わせ鏡となっています。意思は自分の考えとつながり、気は自身の方とつながっています。自分の考えとは生きることであり、自身の方は方向を示しています。その為自分自身の考え方が生きる方向を決定付けています。
生きる方向は二通りあります。一つは光と共に幸せに生きる方向と、二つめは光なき暗闇で苦労しながら生きる方向があります。
本来人間は生まれる前から幸せになる生き方が神によって決定付けられて生まれてきます。
しかし意思気が壊れ光の通る回路が失われているので、幸せな生き方へと案内する光が流れてきません。その為、暗闇の中で幸せになる生き方の方向がわからず自分の考えだけで自分の人生を決めて生きています。
気心である光の通り路が壊れていれば、合わせ鏡である自分自身に暗闇しか写し出されず、自分で決めた苦労多い生き方へと命を運ぶこととなります。これを運命と言います。
人生道は枝分かれが多い道です。人生の節目節目に分かれ道が現れ、光なき生き方では自分の考えで進む道を判断しなくてはなりません。判断を誤るといばらの道を進むことにもなりかねません。暗闇の中で生きていると判断力が弱まり判断を誤ってしまうこともあります。
自分の考えで進む道は本来生まれる前から神によって決定付けられている幸せの道とは反対方向です。その為、苦労することになります。光の道案内がいれば分かれ道が現れても光が幸せな方向へと案内してくれるので、苦労することなく穏やかな人生が送れます。
建国以来、家の中で氏神先祖代々をまつる風習が根付くことはありませんでした。その為、どこの家庭でも氏神先祖代々の意思気は修復されることなく今の今迄壊れたままです。神社仏閣等で幸せになりたいと願っても、自分自身に直結している気心に幸せになる光のエネルギーが流れていないので幸せになれないのが現実です。小さな幸せは自分で作れますが究極の幸せは光のエネルギーによって授かります。
心は意思気である気そのものです。意思気が修復され形が整えば心である光の通る回路も完成します。
心がどこにあるかわかったと思いますので、今度は幸せになる光のエネルギーはどこから流れてくるのか見つけなくてはなりません。
次回は幸せになる光の見つけ方をお伝えします。
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