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執筆者の写真吉野十四子

宗教と家庭内での神まつりの違い

更新日:2020年3月12日

人間は弱い生き者でいつも何かしら悩みを持つて生きています。悩みが大きく膨らむと自分では解決出来なくなり他人や宗教等を頼ることとなります。


世界は何千年も前から男性原理主義に支配され現在迄支配され続けています。男性原理は自分主体の我欲的原理であり、社会においては競争心を煽り争いが絶えず、多くの人はストレスを抱えて苦労しながら生きています。ストレスは万病の元と言います。ストレスから精神的病いや肉体的病いに冒され人々は苦しみます。苦しみ多い世の中から必然的に宗教が発生し、現在も多くの宗教が魂の救済と称して活動しています。


宗教には大きな既成宗教や、そこから派生する宗教や、小さな新興宗教まで、さまざまな宗教団体が存在しています。宗教は一つの救済事業団体とも言えます。団体運営のためには人を勧誘したり、寄付を募ったり、物品を売ったり、身体直しを施したり、とさまざまなかたちでお金を集めています。その為、宗教は必要悪とも言えます。宗教は人間の考えから出た教えであり、教祖たる人物の考え方が色濃く反映し、教会等に信者を集め教像や仏像を信奉し説教や布教などしているのが実態です。宗教が発生したのは男性原理主義社会の仕組みに原因があります。私の本「母親の秘めたる力」に詳しく書いてありますので参考にして下さい。


なぜ人々は宗教に依存するのか、それは苦しみから救われたい思いからですが、真実を知らないことが大きな要因となっています。宗教を信仰していれば救われると信じ、宗教に依存し囚われています。宗教が本当に人間の苦悩を救済出来ていたならば、とうの昔に平和平安な世界が実現してもよいはずです。しかし、今だ人間は苦しみからの脱却方法を会得出来ていません。この事実をよく見極めて今一度宗教とは何かを考えてみる必要があるかと思います。


苦しみから救われたい、幸せになりたい、この様な願いを家の外の宗教や神社仏閣の神仏に求めています。私の本にも書いてありますが、西洋の童話にチルチルミチルの話があります。幸せの青い鳥を求め家の外に探しに行きましたがなかなか見つからず、結局幸せの青い鳥は家の中にいることがわかったお話しです。宗教は家の外での信仰であり教団が信奉している教像や仏像は家族の命とは直結していません。その為、家族を幸せにする青い鳥は見つけることが出来ません。


一方、家の中での真行は氏神先祖代々の神まつりです。氏神先祖代々は家と家族の命と直結しています。その為、神まつりをすれば家族を幸せにする青い鳥は家の中で見つかります。宗教は家の外での信仰であり、神まつりは家の中での真行です。現れた苦しみを救済しようとするのが宗教であり、現れてからの苦しみを救うのはお金もかかり時間もかかり苦労が伴います。


全ての苦しみは家の土台や人間の根っ子である氏神先祖代々の犯した罪の現れです。神まつりは氏神先祖代々を清め、家族に苦しみが現れないように早め早めに手を打つことです。たとえ現れても小難が無難となっておさまるのでお金もかかりません。時間もかかりません。苦労もありません。神まつりは日々数分の真行ですが大切です。


宗教は教団の教えによって人間が人間を救おうとすることであり、家庭内の神まつりは母親のミトコンドリアの光が氏神先祖代々を清め家族が救われる仕組みです。宗教は人間の力によって救おうとしますが、神まつりは光のエネルギーによって家族が救われます。宗教は家の外の教会等に出かけての信仰ですが、神まつりは家庭内での真行であり家族皆んなが過去と向き合うことができ、小さな子供でも出来る優しい真行です。


家と命と直結している氏神先祖代々と向き合い感謝の礼を示すことは人間として生きている以上成すべきことです。この大切なことを知らなかったり忘れたりしているから家庭内に災いが生じ家族が苦しむことになります。神まつりは真誠人生道です。宗教とは全く違います。日本には宗教の自由がありますが無宗教の人は幸いです。


次回は究極の幸せは結婚にあることをお伝えします。


写真は神まつりの神棚です。参考にしてみて下さい。

大、小の神棚がホームセンターなどで手頃な値段で売っています。









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